〈等々力渓谷周辺(寺社、遺跡)〉
等々力渓谷の不動の滝の上には等々力不動尊がある。等々力不動尊は満願寺の別院で、
正しくは「竜轟
りゅうごう
山明王院」という名前で、本堂背後の渓谷にある不動の滝音が轟くとこ
ろから付けられた名前だと言われているが、現在は細い滝が落下しているだけで、轟く
という意味は感じられなくなっている。創設は約八百年前に和歌山県根来寺の興教大師
が神託によりこの地の霊場なるを悟って堂を建立したと伝えられ、現在は玉川八十八ヶ
所第三十三番札所になっている。現在の本堂は村人の厚い信仰に支えられて昭和28 年に
新しく再建されたもので、山門は昭和43 年に満願寺の旧山門を移転したものである。
不動尊の行事は、元旦護摩供養に始まり、1月28 日の初不動の大護摩、2月3日の節
分会豆まき、4月8日は花まつり、10 月28 日~11 月23 日の期間は菊まつり等が行われ、
この他にも毎月の護摩供養等があり賑わっている。
4)
遺跡は、等々力渓谷内の東側斜面に数個の横穴が確認されている(写真3)。周辺には
大塚古墳、御岳山古墳などの荏原古墳群に属する古墳が分布している。横穴は谷沢川の
河床面との比高9mの地点の、ローム層中に墓道が切り通され、ローム層中の東京軽石層
近くに掘り込まれている。奥行きは4.9m で形態は半徳利状、床に高さ25cm 程の小段が設
けられている。埋葬品は須恵器の平瓶、金銅製耳環、土器の杯等が出土している。前面
には斜面を切り通して造られた墓道が延び、土器が供えられたり火を焚いた跡があり、
墓前祭が行われていた。被葬者は、人骨などから推定される性別、年令などから有力な
農民で、家族的な色彩が濃いと考えられる。埋葬の年代は、副葬品の土器の形式等から
判断して、7世紀後半~8世紀頃(古墳時代後期頃)と推定されている。
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写真3 等々力渓谷3号横穴(ガラス越しに内部を見ることができる)