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江戸は、徳川家康の入府以来、都市として膨張を続けていた。徳川家光(三代将軍)
の時代になると、幕府は江戸市中の水不足を解消するため、新しい上水を作る必要に迫
られていた。そこで、幕府は承応2年(1653 年)に関東郡代伊奈半十郎忠治を水道奉行
に任じた。そして、幕府は玉川上水の工事に取り組むことになった。実際の工事は、町
人庄右衛門と清右衛門の兄弟が指揮をとり、羽村から四谷大木戸までの全長約43Kmを約
8ヶ月間で堀りあげたという。
古い資料によると、幕府は庄右衛門と清右衛門兄弟に約6000 両を工事の費用を与えた
が、現在の杉並区付近で資金をすべて使い果たしたとのことである。そこで、兄弟は私
財をなげうって費用を調達し、工事を完成させたのである。
工事が無事終了すると、幕府は二人の兄弟の労にむくいるため、玉川という名前を与
え、また刀を持つことを許し、さらに玉川上水役に任じている。
徳川家康、江戸入府。
江戸幕府開かれる。
玉川兄弟上水の工事に着手、11月四谷大木戸まで完成。
最初の分水「野火止用水」が引かれる。
徳川吉宗、将軍となる。(~1745年まで)
分水が約30ヶ所となり、武蔵野新田開発に役立てられる。
明治維新、江戸から東京になる。
玉川上水に物資を運ぶ船が通る。2年後に廃止。
淀橋浄水場の完成。小平から下流は役割を終える。
淀橋浄水場の廃止。
玉川上水の清流復活。
1590年
1603年
1653年
1655年
1716年
1791年
1868年
1870年
1899年
1965年
1986年
安土桃山
江 戸
明 治
昭 和
表2 玉川上水に関連するおもなことがら
写真14
玉川兄弟の像顔は記録がないため
想像である