この五街道とは別に、江戸から外に向かって開かれた道がまだたくさんあった。その
幾つかを挙げると、次のとおりである。
①中山道の駒込追分から分かれて、岩淵から荒川を渡り、岩槻を経由、幸手で日光道中
と一緒になる道で、将軍が日光社参の折りに通行した日光御成道。
②東海道の品川から分かれて池上本門寺に向かう池上道。
③赤坂から渋谷を経由、神奈川県大山の阿夫利神社に向かう大山道。
④甲州道中の内藤新宿から分かれて青梅にいたる青梅街道。このあと大菩薩峠を越え、
甲府入口で再び甲州道中と一緒になるので甲州裏街道とも呼ばれた。
⑤中山道の板橋入口から分かれて川越に進む川越道。
⑥日光道中の千住から分かれ、水戸や佐倉に向かう水戸佐倉道。
このうち、日光御成道・川越道および水戸佐倉道は、道中奉行の管轄下に入っていた。
こうして徳川幕府の統治下に政治的・軍事的性格を重視して整備された道も、平和な時
代の到来とともに庶民の旅路として広く利用されるようになった。
長らく続いた江戸時代も慶応4年(1868 )の明治維新により、江戸域が京都に代わっ
て皇居と定められて以来、東京の発展は目ざましく、現在のような大都市に変貌したが、
いまもその中心となる多くの道は、そのほとんどが江戸時代に設けられた道を基に発展
したものである。最近では、高速道路や幹線道路など新しい路線の整備がされつつあり、
古い道との連携を図りながら快適で環境にやさしい道づくりが進められている。
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図7 江戸時代の街道と宿駅(道中奉行管轄の宿駅)
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