4.海(東京港)
<東京港の概要と歴史>
東京都内で海域に面しているのは、多摩川河口か
ら旧江戸川河口までである。この内、荒川左岸の葛
西臨海公園部分を除く、多摩川河口から荒川河口に
至る範囲が東京港にあたり、都内の海といえばその
ほとんどが東京港である。その規模は水域の港湾区
域面積5456ha 、陸域の臨港地区面積1182ha を有する。
東京港は今から約 540 年前、現在の日比谷付近に
「江戸湊」として造られたのがその始まりといわれ
ている。江戸の最盛期の人口は約130 万人まで増え、
この消費都市を支えるため、「江戸湊」へは酒、醤
油、米をはじめ生活物資が菱垣廻船や樽廻船によっ
て運ばれ、日本海運の中心として西の大阪と並んで繁栄していた。
明治元年、江戸が東京と改められ、日本の首都となっても東京港は500 トン程度の船し
か入港しなかった。本格的に港として機能するようになるのは、大正12 年の関東大震災
以降であり、大正14 年には日の出ふ頭、芝浦ふ頭、竹芝ふ頭が完成した。
東京港は、昭和16 年に国際貿易港として開港した。第2次世界大戦の影響で港の機能
は停滞したが、戦後、東京の復興のために、豊洲ふ頭、晴海ふ頭が整備された。昭和40
年代には、物流の近代化、合理化を図るため、わが国初のコンテナふ頭を品川に、次い
で世界的な規模をもつコンテナふ頭として大井ふ頭その1が整備された。その他、外貿
在来船用のふ頭、物資別専門ふ頭、フェリーふ頭など多数のふ頭も整備されている。
このように、東京港は物資流通の円滑化を図るため、港湾機能の総合的な充実化に努
め、老朽化した竹芝、日の出ふ頭などが再開発されている。東京港は、物資だけではな
く世界との人・文化の交流点として、首都東京の海の玄関にふさわしい本格的客船ふ頭
づくりを進めている。また、各国の港と姉妹港の提携を行うなど、国際港湾交流を深め
ている。
東京の大規模な埋立ては徳川家康の江戸入国以降から始まった。その後、埋立ては明
治に入ってから本格的に行われ、明治39 年に始まった隅田川口改良工事から今日までの
間に、千代田、中央、港の3区を合わせた面積に匹敵する約4438ha が造成され、現在の
東京港は全て埋立地に建設されている。
埋立て初期に使われた埋立材料は、埋立地周辺の海域に分布する良質な砂質土であっ
たが、時代と共に生活廃材のごみが主体となり、埋立地はごみ捨て場となっている。現
在は中央防波堤外側で廃棄物などを処分するため埋立てが進められ、さらにその外側に
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図12 東京港の位置
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