2-2 都電荒川線沿線のあゆみ <都電荒川線> 都電荒川線はその昔、王子電気軌道㈱が建設した通称「王電」と呼ばれる私営の郊外 電車であった。明治44 年に開業した大塚~飛鳥山上(現飛鳥山)間の大塚線がその始ま りで、昭和7年までに総延長16.454km の三ノ輪~早稲田、王子~赤羽を結ぶ路線が完成 した。 昭和13 年に施行された「陸上交通事業調整法」に基づき、昭和17 年に王電は東京市に 譲渡されて市電に変わり、さらに昭和18 年の東京都制の施行に伴い市電も都電と呼ばれ るようになった。 東京都内を網の目のように走っていた都電は、昭和18 年頃に最盛期を迎え、41 系統の 路線を数え、1日の乗客は約193 万人にも上り、文字通り都民の足として隆盛を誇ってい た。しかし、都電もやがてモータリゼーションの波に呑みこまれ、自動車の増大による 輸送効率の低下や軌道敷内への自動車の乗入れにより撤去を余儀なくされ、昭和42 年か ら昭和47 年にかけて35 路線181kmが順次廃止された。 都電荒川線も当初、廃止計画に組み入れられていたが、路線の大部分が専用軌道であ ったことや、他に適当な代替交通機関がないこと、沿線住民の強い要望によって、27 統(三ノ輪橋~王子駅前~赤羽)の内、併用軌道部分の王子駅前~赤羽間を短縮しただ けで廃止をまぬがれた。そして昭和49 年には、三ノ輪橋~王子駅前の27 系統と、荒川車 7 図7 都電荒川線のあらまし 4)