<沿線のまちなみ> 王子電気軌道㈱は、江戸時代から桜の名所として人気のあった飛鳥山への遊覧行楽客 の誘致を目的として、王子を中心に三ノ輪・大塚・赤羽にいたる電気軌道・王電を敷設 した。 王電の沿線は、第1次世界大戦後の経済の好況により、人口増加を伴う工場の進出を うながし、住宅地の郊外化現象とあいまっ て急激な発展を見せた。 大正 12 年の関東大地震では、王電沿線は 火災による被害を免れ、また地震による被 害も比較的軽微であったため、王電は3日 間の休業のみで復旧することができた。こ の大震災後は以前にもまして市街化が進み、 輸送需要は一層の強化が求められた。 昭和 10 年代に入ると王電の沿線一帯は完 全に市街化した。第二次世界大戦に入ると 王電沿線にも軍需工場が増加しはじめ、昭 20 年までの空襲で王電沿線も大被害を受 けて市街地の大半が焼失した。戦後半世紀 が過ぎた現在でも、荒川線沿線は高層の建 物も比較的少なく(写真5)、今でも下町人 情を残した地域で、都電そのものも庶民的 で気楽に乗れる乗り物である。 9 写真4 三ノ輪橋駅入口の旧王電ビル (昭和2年竣工) 写真5 飛鳥山から三ノ輪橋方向の眺め