・深川 元来深川は、隅田川の河口にできた低い洲にすぎず、人が住める場所ではなかった。 慶長の頃(十五世紀末)に、この洲を摂津の人である深川八右衛門が開拓したというこ とが史実に残っている。徳川家康公がここに鷹狩りに来た際に、ここの地名を八右衛門 に聞いたところ、地名はないと返答に対し「そのもとの苗字でこの場所を呼べ」と家康 公が言ったことから、ここの地名が深川になったと言い伝えられている。 現在「深川」は地名として残っているが、いわゆる深川は旧深川区つまり現在の江東 区の西半分を指し、隅田川と横十間川の間の地域である。東陽町、千石、猿江、毛利か ら新大橋、清澄、門前仲町、永代、越中島あたりまでを含む地域である。江戸初期から 開発が行われ、江戸末期頃には縦横に走る掘割、寺社に加え、木場材木問屋等の大店、 武家屋敷などが町の中にみられるようになっていた。 ・門前仲町 江東区内でいちだんと賑やかなのがこの門前仲町である。営団地下鉄東西線が開通す る昭和42 年(1967 )以前は都電が走っていた。昭和6年(1931 )、従来の黒江町、門前山 本町、蛤町の一部が合併し門前仲町となった。古くは永代寺門前仲町といい、幕府が八 幡宮別当永代寺へ与えた土地に、門前町屋が許可されたのが始まりで、後に町並家作が 許され、土地の町人たちは地主の永代寺へ地代を納めていた。 12 写真9 現在の木場周辺(木場公園の地下は都営地下鉄12号線の車 庫になっている)(本文6ページ、図6参照)