年貢米の輸送に始まった水運も、それ
が便利なルートだということになると、
一般の商人荷物もこれを利用しようとし
てくる。すると、河岸にこの商荷物輸送
を扱う「河岸問屋」(輸送業者)が生ま
れて、その他の職業の人々が住み着くよ
うになった。このようにして徐々に「河
岸」が形成され、河岸が「交通と商業の
町」として繁栄していった(図3)。
明治時代に政府は「地租改正」という
方針を打ち出し、年貢が米納からすべて金納となり、年貢米輸送がなくなった。その他、
河川改修工事や、輸送能力で川船に優る大量輸送機関・鉄道が出現してきた。そこで、
明治から大正・昭和へと、鉄道の発達とともに「河川水運」は衰え、「河岸」は衰退して
いった。この衰退に追い打ちをかけたものが、戦後の高度経済成長の中で登場した大型
トラック輸送であった。
かつて頻繁に船が行き交った運河は、第二次大戦後の昭和24 年頃より本格的な埋立が
始まり、現在までにほとんどが埋立られているものの、東京では廃棄物と建設残土によ
って東京湾を埋立、埋立地間の水面が運河として数多く誕生している(図4)。
現代の輸送機関の主流
は自動車と鉄道である
が、都内を中心として交
通渋滞・排気ガス公害、
さらに災害発生時の輸送
路の断絶など、深刻な問
題として近年取り上げら
れており、川沿い市町村
の活性化を図る意味から
も、水運の復活を求める
声が高まっている。
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図3 河岸問屋のようす
3)
図4 江東地区のおもな運河と橋