2-6 都市鉄道の再編と太平洋戦争
活発だった都市鉄道の建設ラッシュも、1927 (昭和2)年にはじまる金融恐慌と引き続
く不況によって急ブレーキがかかり、路線の延伸や新線の建設を目論んでいた多くの私鉄
の事業計画は放棄されるか延期・縮小されるに至った。こうした中で、東京-浜松町間の
完成後も鉄道省の高架鉄道は継続して進められ、 1919 (大正8)年に東京-万世橋間、
1925 (大正14 )年に東京-上野間、1932 (昭和7)年に御茶ノ水-両国間の高架線が完
成して南北と東西を縦貫する都市鉄道が完成した。このうち、御茶ノ水-両国間の高架橋
は、不況に伴う失業救済事業として行われたものであった。これらの高架橋群は、土木用
の構造材料が煉瓦・石材から鉄筋コンクリートへと変化する時代に建設されたため、東
京-万世橋間では鉄筋コンクリートアーチまたは鉄筋コンクリート桁+煉瓦張り構造を主
体としていたが、東京-上野間、御茶ノ水-両国間では、図8
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に示すように鉄筋コンク
リート桁または鉄筋(鉄骨)コンクリートラーメン構造を主体として完成した。
1931 (昭和6)年に勃発した日華事変以降、鉄道は戦争遂行のための重要な補給路と
しての存在意義を強め、戦時体制による国家の統制が厳しくなった。明治末から昭和初
期にかけて形成された私鉄の鉄道網も、1938 (昭和13 )年に成立した陸上交通事業調整
法によって再編されることとなり、1942 (昭和17 )年に東横電鉄、小田原急行電鉄、京
浜電気鉄道、京王電気軌道が合併して東京急行電鉄となり、武蔵野鉄道と西武鉄道が合
併して西武鉄道となった。また、地下鉄も1941 (昭和16 )年に成立した帝都高速度交通
営団法によって東京地下鉄道と東京高速鉄道が合併し、帝都高速度交通営団が発足した
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。
一方、戦時体制の強化に伴って、私鉄のうち軍需産業や石炭輸送と関わりの深い路線
を中心に買収が行われ、全国で22 社の鉄道がほぼ強制的に国有鉄道へ移管された。東京
周辺では、青梅電気鉄道(現・青梅・五日市線)、奥多摩電気鉄道(現・青梅線)、南武
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図8 神田-上野間高架工事で用いられた初期の鉄筋コンクリートスラブ式高架橋
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