2-3 馬車鉄道から路面電車へ
官設鉄道や私設鉄道による幹線鉄道網の整備が着々と進められていた頃、都市内にお
ける鉄道の主役は写真1
7)
に示す馬車鉄道であった。わが国最初の馬車鉄道として設立
された東京馬車鉄道が新橋-日本橋間で運転を開始したのは1882 (明治15 )年6月25 日
のことで、さらに同年10 月1日には新橋-上野-浅草-浅草橋-日本橋-新橋の循環線
が完成した
8)
。馬車鉄道は、動力を容易に確保でき、特別な設備を要しないという利点が
あったが、糞尿による黄害や歩行者との事故などによるトラブルが多く、東京以外の都
市にはほとんど普及しなかった。こうした道路面上に敷設される鉄道に対して政府は
1890 (明治23 )年に軌道条例を公布し、事業への参入を促した。また、馬車鉄道以外に
も、軌道上を走行しない一般の乗合馬車が東京と周辺都市の間を結んでいたほか、近距
離交通の手段として1870 (明治3)年には人力車も登場しており、自動車が登場する以
前の都市交通を支えた。
1890 (明治23 )年、上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会で、アメリカから輸
入されたスプレーグ式の電車が公開され、会場内に敷設された430 mの軌道上を往復した。
これがわが国における電車の初登場で、煙を出さず、方向転換も容易で、加減速性能に
も優れた交通手段として一躍脚光を浴びた。しかし、電車は諸外国でもまだ普及途上で
都市鉄道としての実績に乏しく、電気の安全性に対する不信感などもあってなかなか営
業用には用いられず、ようやく5年後の1895 (明治28 )年に京都市でわが国初めての営
─4─
写真1 明治中葉の新橋停車場(初代)と東京馬車鉄道
7)
※後方に人力車の姿も見える