12 (4)埋立て地の地名(東京港) 現在の住所(地名)はそれぞれの由来があって、命名されてきたものである。 これらには興味深いものも数多くあり、その中の一例を紹介する。特に埋立て地の多い 江東区、および江戸時代の埋立てに関係した地名が多い中央区についてとり上げてみた。 表2 江東区(深川区と城東区の合併、江が深川を意味する)地名の由来 地名 由来 地名 由来 清澄 開拓者弥兵衛で弥兵衛村→清住町(弥 兵衛の姓?)→伊勢崎、裏、仲、大工 町と合併し、清澄町となる。 猿江 伝説。源義家の奥州征伐時、この地の 入り江に家臣猿藤太の鎧が打ち上げら れたことによる。 永代 永代島の古名。 扇橋 古くからの扇橋の橋名による。 佐賀 開発者の名前の村であったが、検地後、 肥前国の佐賀湊に地形が似ているとし て佐賀町とされた。 木場 江戸市中で火災の原因になる木場をこ の地に指定、S48新木場に移転した。 深川 深川八郎衛門が小名木川北一帯の開発を手 がけたことから深川村→深川区となる。その 後同区は城東区と合併し江東区になる。 北砂、東 砂、南砂 多くの新田を合併して砂村新左衛門が 開拓した砂村新田より砂村→町とし、 その後住居表示のため北、南、東に分割。 牡丹 牡丹を栽培する農家が多かったため、 牡丹町と称された。 千田 埋立て者:千田庄兵衛千田新田にちな んだ。 越中島 播州姫路の領主、榊原越中守の別邸が あったとされる。 大島 比較的大きな島であった。おおじまと 読む。 辰巳 江戸城から十二支の辰巳の方向(南東) に位置することによる。 亀戸 諸説あり、亀ヶ井古井戸説、島の形が 亀に似ていた説、神戸説など。 古石場 江戸幕府の石置場より命名。 塩浜 合併した塩崎、浜園から命名。 夢の島 戦後遊園地が計画され、東京都の命名 とされる。 新砂 昭和の埋立て地。南砂4、9丁目を城東 区成立後に新砂1~3丁目と命名。 豊洲 将来の発展を願い豊かな州となるよう に命名。 若洲 若い島の意味、新木場と若洲の橋名若 洲橋にもちなむ。 富岡 深川富岡八幡宮に由来する。 毛利 毛利新田による。 千石 千田町、石島町の合併による。 枝川 枝川改良工事の埋立てによる。 表3 中央区(日本橋区と京橋区の合併、東京の中心→中央区)地名の由来 地名 由来 地名 由来 明石町 播磨明石の漁師の移住、明石の浦に風 景が似ている。 鉄砲洲沖の干潟を拝領した人々が郷 里の大阪市西成区佃村の名をとって命 名、もともとは島。 鉄砲洲 家康入城の頃、すでに南北八丁の鉄砲 の形に似た細長い島で、大砲の射撃演 習による命名との説もある。 甘酒横丁 横丁の入り口に尾張屋という甘酒屋が 盛っていたことで甘酒屋横丁と呼ばれ ていたことによる。 富沢町 盗賊鳶沢が古着市を開いたことによ り、鳶→富として命名。 大伝馬町 伝馬(宿場間で物資を運ぶ馬)の駅家 が移ってきたことによる(小伝馬町は 規模が小さかった)。 人形町 江戸時代歌舞伎や操り人形芝居が行わ れ、付近に人形を作る家が多かったた め、命名。 茅場町 江戸城拡張工事の際、茅商人が幕府の 命で移住させられたことによる。 勝どき 明治38年日露戦争の勝利記念に勝どき の渡し船ができたことによる。 八重洲 外交顧問、ヤン・ヨーステンの邸宅が あったことによる(呼び方のなまり)。 兜町 兜塚が兜神社の境内にあり、塚の名前 による。 蠣殻町 建築に使った材料名からきている。牡 蠣の粉を瓦の材料とした。 地名は江東区や中央区に限らず、それぞれいわれ(由来)があり、今後も大事にしてき たいものである。日本橋区は統合の際、旧区名を大事にし「日本橋・・町」という呼び名 に執着した経緯も面白い。さて、次章では、東京湾の生態系や自然環境について紹介する。