14 海苔の養殖や貝類の漁も、昭和30年代 までは盛んに行われた。海苔は遠浅で波が 静かな海で、特に汽水域でよく育つため、 大森や羽田付近から江戸川河口の浦安付近 まで広範囲に養殖が行われた(写真2、3 参照)。また、貝類の漁も千葉県の干潟を 38 41 44 3 6 8 10 12 14 3 6 9 11 13 15 18 20 22 25 27 29 32 35 37 40 56 0 10000 20000 30000 40000 50000 60000 70000 80000 90000 魚類 貝類 藻類 その他 図12 東京湾内湾の漁獲量の変遷 9) (「東京都内湾漁業興亡史」:東京都内湾漁業興亡史刊行会、1971に基づき集計 昭和56年については、「東京湾横断道路漁業調査報告書」:日本道路公団より) 写真1 出漁の様子(浦安) (昭和30年頃) (浦安市郷土博物館より提供) 図13 明治30年代の東京湾内湾漁場図 9) (「東京都内湾漁業興亡史」:東京都内湾漁業興亡 史刊行会、から引用) 注)図中のヒロ:昔使っていた長さの単位で、こ こでは水深を表す。1ヒロは、両手を広げた 長さで、概ね身長に等しい。mに換算すると 1ヒロ=約1.5m。江戸時代の人は現代人より も身長が低く平均身長は1.5m程度であったと 言われている。