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海苔の養殖や貝類の漁も、昭和30年代
までは盛んに行われた。海苔は遠浅で波が
静かな海で、特に汽水域でよく育つため、
大森や羽田付近から江戸川河口の浦安付近
まで広範囲に養殖が行われた(写真2、3
参照)。また、貝類の漁も千葉県の干潟を 生産高(トン)明治
38 年明治
41 年明治
44 年大正
3 年大正
6 年大正
8 年大正
10 年大正
12 年大正
14 年昭和
3 年昭和
6 年昭和
9 年昭和
11 年昭和
13 年昭和
15 年昭和
18 年昭和
20 年昭和
22 年昭和
25 年昭和
27 年昭和
29 年昭和
32 年昭和
35 年昭和
37 年昭和
40 年昭和
56 年
0
10000
20000
30000
40000
50000
60000
70000
80000
90000
魚類
貝類
藻類
その他
図12 東京湾内湾の漁獲量の変遷
9)
(「東京都内湾漁業興亡史」:東京都内湾漁業興亡史刊行会、1971に基づき集計
昭和56年については、「東京湾横断道路漁業調査報告書」:日本道路公団より)
写真1 出漁の様子(浦安)
(昭和30年頃)
(浦安市郷土博物館より提供)
図13 明治30年代の東京湾内湾漁場図
9)
(「東京都内湾漁業興亡史」:東京都内湾漁業興亡
史刊行会、から引用)
注)図中のヒロ:昔使っていた長さの単位で、こ
こでは水深を表す。1ヒロは、両手を広げた
長さで、概ね身長に等しい。mに換算すると
1ヒロ=約1.5m。江戸時代の人は現代人より
も身長が低く平均身長は1.5m程度であったと
言われている。