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玉川上水は、一説によれば最初は国立の青柳付近、ついで福生の熊川付近に取水口を
設けたが、掘削の不能あるいは水
みず
喰
くら
土
いど
(試験通水で地面に水が吸い込まれた)により流
水がうまくいかず工事は失敗したといわれている。
羽村に堰を設けた上水掘削は、高低測量には暗闇の中で束にした線香や提灯を利用し
たり、さらに石灰、にがりで固めた三和土(たたき:コンクリートと同じような役目を
はたした)の利用など、さまざまな工夫もあって短期間に成功したとも云われている。
現在の玉川上水は、羽村堰から小平監視所までは東村山浄水場の導水路として今でも
使用されており(図22参照)、また小平監視所から下流は、下水の処理水を通水し清流
を復活させることにより保全が進められ、史跡としての価値も見直されている。
玉川上水は太宰治の入水場所(三鷹)、明治初期のうたかたの通船(羽村~内藤新宿間)
など様々な歴史をもち、最近では羽村から下流部の暗渠を除いた約30kmが平成15年8
月に国の史跡として指定されている。
図22 玉川上水の現在
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(2)羽村取水堰
羽村取水堰(写真16参照)は、S字
型にくねり蛇行してくる多摩川の流れ
に、直交するように張り出した投
なげ
渡
わたし
堰
ぜき
(水を堰き止めたり増水時は取り払っ
たりする)により、河川水が取り入れ
られ、玉川上水と村山・山口貯水池や
東村山・境・小作の各浄水場に送られ
ている。 写真16 現在の羽村取水堰
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