24 玉川上水は、一説によれば最初は国立の青柳付近、ついで福生の熊川付近に取水口を 設けたが、掘削の不能あるいは水 みず くら いど (試験通水で地面に水が吸い込まれた)により流 水がうまくいかず工事は失敗したといわれている。 羽村に堰を設けた上水掘削は、高低測量には暗闇の中で束にした線香や提灯を利用し たり、さらに石灰、にがりで固めた三和土(たたき:コンクリートと同じような役目を はたした)の利用など、さまざまな工夫もあって短期間に成功したとも云われている。 現在の玉川上水は、羽村堰から小平監視所までは東村山浄水場の導水路として今でも 使用されており(図22参照)、また小平監視所から下流は、下水の処理水を通水し清流 を復活させることにより保全が進められ、史跡としての価値も見直されている。 玉川上水は太宰治の入水場所(三鷹)、明治初期のうたかたの通船(羽村~内藤新宿間) など様々な歴史をもち、最近では羽村から下流部の暗渠を除いた約30kmが平成15年8 月に国の史跡として指定されている。 図22 玉川上水の現在 11) (2)羽村取水堰 羽村取水堰(写真16参照)は、S字 型にくねり蛇行してくる多摩川の流れ に、直交するように張り出した投 なげ わたし ぜき (水を堰き止めたり増水時は取り払っ たりする)により、河川水が取り入れ られ、玉川上水と村山・山口貯水池や 東村山・境・小作の各浄水場に送られ ている。 写真16 現在の羽村取水堰 12)