16 3.こころの中の隅田川 3-1 人と隅田川の関わり 芥川龍之介「大川の水」(大正3年)の一節“家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀 の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭の河岸へ 出るのである。(中略)この大川の水に 撫愛される沿岸の町々は、皆自分にとっ て、忘れがたい、なつかしい町である。 ……青く光る大川の水は、その冷やかな 潮のにおいとともに、昔ながら南へ流れ る、なつかしいひびきをつたえてくれる だろう。”と書かれているように、かつ て隅田川は庶民の生活、食材としての魚 介類の供給、人や物の輸送路として深く 関わるだけでなく、こころの風景に残る 母なる“ふるさとの川”としての意味を 持っていた。江戸時代の隅田川は、街の中心を流れ東京湾へ繋がることから、運送業や 旅客業、屋形船や釣り舟、交通手段としての渡し舟、川遊び、堤防での花見、花火見物 等、庶民にたいへん親しまれてきた。また、江戸第一の歓楽地である浅草が近いことか ら、多くの庶民にとっての憩いの場所となっていた。しかし、明治時代以降の工業化に より水質が悪化し、洪水から住民を守るた めの防潮堤等の治水工事により、川岸まで 行っても水面を見ることが出来ない状況と なった。やがて人と川は、まったく離隔し た存在になっていった。 3-2 隅田川周辺の旧跡 隅田川周辺には、江戸時代から残る旧跡 や昔からなつかしいスポットが多くあり (図17)、その一部を歩いてみよう。 (1)墨堤(墨田堤) 墨堤にある常夜燈は、明治4年(1929) 向島牛島神社へ行く坂の途中にあり、川舟 の安全をはかるための燈台と墨堤の燈明を 兼ねて建立された(写真7)。燈籠を目印 に花見客が集まり、ここで一息いれて散策 図16 明治時代の隅田川両国橋付近 12) 手前が流れを弱めるための百本杭,両国橋上流左 岸(百本杭ノ三日月 井上安治 明治13(1880)) 図17 隅田川周辺の旧跡、スポット (地図:アルプス社、プロアトラスSV2に加筆) 天ぷら伊勢屋 見返り柳 山谷堀跡 日本堤 花やしき 待乳山 今戸橋 常夜燈 墨田堤 花の碑 竹屋の渡し跡 神谷バー 新東京タワー 駒形どぜう