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3.こころの中の隅田川
3-1 人と隅田川の関わり
芥川龍之介「大川の水」(大正3年)の一節“家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀
の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭の河岸へ
出るのである。(中略)この大川の水に
撫愛される沿岸の町々は、皆自分にとっ
て、忘れがたい、なつかしい町である。
……青く光る大川の水は、その冷やかな
潮のにおいとともに、昔ながら南へ流れ
る、なつかしいひびきをつたえてくれる
だろう。”と書かれているように、かつ
て隅田川は庶民の生活、食材としての魚
介類の供給、人や物の輸送路として深く
関わるだけでなく、こころの風景に残る
母なる“ふるさとの川”としての意味を
持っていた。江戸時代の隅田川は、街の中心を流れ東京湾へ繋がることから、運送業や
旅客業、屋形船や釣り舟、交通手段としての渡し舟、川遊び、堤防での花見、花火見物
等、庶民にたいへん親しまれてきた。また、江戸第一の歓楽地である浅草が近いことか
ら、多くの庶民にとっての憩いの場所となっていた。しかし、明治時代以降の工業化に
より水質が悪化し、洪水から住民を守るた
めの防潮堤等の治水工事により、川岸まで
行っても水面を見ることが出来ない状況と
なった。やがて人と川は、まったく離隔し
た存在になっていった。
3-2 隅田川周辺の旧跡
隅田川周辺には、江戸時代から残る旧跡
や昔からなつかしいスポットが多くあり
(図17)、その一部を歩いてみよう。
(1)墨堤(墨田堤)
墨堤にある常夜燈は、明治4年(1929)
向島牛島神社へ行く坂の途中にあり、川舟
の安全をはかるための燈台と墨堤の燈明を
兼ねて建立された(写真7)。燈籠を目印
に花見客が集まり、ここで一息いれて散策
図16 明治時代の隅田川両国橋付近
12)
手前が流れを弱めるための百本杭,両国橋上流左
岸(百本杭ノ三日月 井上安治 明治13(1880))
図17 隅田川周辺の旧跡、スポット
(地図:アルプス社、プロアトラスSV2に加筆)
天ぷら伊勢屋
見返り柳
山谷堀跡
日本堤
花やしき
待乳山
今戸橋
常夜燈
墨田堤
花の碑
竹屋の渡し跡
神谷バー
新東京タワー
駒形どぜう