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6.まとめ
6-1 隅田川に関わるイベント
(1)隅田川花火
隅田川の花火大会は、享保17年(1732)に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うた
め、翌年旧暦5月28日、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされる。この当時
は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものであった(図36)。当初の打ち上げは、
「鍵屋」が担当したが、文化7年(1810)に「鍵屋」
の分家の「玉屋」(創業者は玉屋清吉)の創業によ
り、2業者体制となり、双方が腕を競いあった。「鍵
屋」と「玉屋」の打ち揚げ場所は両国橋をはさんで
上流と下流に分かれて交互に花火を揚げたため、観
客は双方の花火が揚がったところで、できのよい業
者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「た
ま や ー」「 か ぎ や ー」 の 掛 け 声 の 由 来 と い わ れ る。
当時評判がよかったのは「玉屋」のほうで、「玉や
だと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるよう
に、「玉屋」の掛け声ばかりで「鍵屋」の名を呼ぶ
ものがいない、といわれた時代もある。ただし、「玉
屋」は天保14年(1843)に火災を起こし、江戸処
払いを命じられ、一代限りで断絶した。その後、昭
和36年(1961)から交通事情の悪化等により中断
するが、昭和53年(1978)に現在の名称として復
活し、以後毎年続けられている。平成19年(2007)
は復活後30回を記念し、約22,000発が打ち揚げられ、
隅田川周辺に集まる約95万人もの歓声が夏の風物
詩として盛り上がった(写真41)
図36 江戸時代の両国花火
歌川広重 名所江戸百景「両国花火」
図37 明治時代の両国花火大会の様子
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写真41 現在の隅田川花火大会