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(2)早慶レガッタ
早 慶 レ ガ ッ タ は 明 治38年
(1905)に、隅田川向島で第1
回大会が開催されて以来、戦争
などの中断をはさみながらも、
平成19年(2007)で76回、102
年目を迎える。はじまりは野球
同様、早稲田が先輩格の慶應に
試合を申し入れた事に端を発し
ている。第1回大会のレースは
両校の学生をはじめ、前評判を
聞き付けて集まった野次馬が、双方の応援に両岸を赤白に分かれ、その盛り上がり源平
合戦さながらだったと言われた。このレースはエイトではなくシックスで競われ、慶應
有利の下馬評を覆して早稲田の艇が1艇身半で勝った。
しかし、翌年以降の開催が期待されたものの、野球の早慶戦の過熱振りから、早慶両
校の対校戦が全面禁止になるに到り、第2回大会は25年後の昭和2年(1927)であった。
昭和32年(1957)の第26回大会は荒天により川面に白波が立つ中での歴史に残るレ
ースとなった。ボートの浸水が予想される中、レースは序盤慶應が早稲田を大きく引き
離したが、慶應艇がレース途中で浸水により失速、そのまま沈没した。早稲田はボート
を漕ぐ選手とボートに浸入した水を食器で掻き出す選手に分かれ、最終的には浸水を回
避し無事ゴールし、早稲田の勝利となった。このエピソードは、後に小学校6年生国語
の教科書に「あらしのボートレース」という題名で取り上げられた。
隅田川における対校レースは、昭和30年頃から高度経済成長に伴う河川交通量の増
大、高速道路向島線の橋梁架設工事、水質汚染等で、隅田川は既にボートを漕げる環境
では無くなり、昭和36年(1961)年の第30回大会を最後に一旦中断され、以降、戸田
ボートコースや荒川に移ることを余儀なくされた。その後、河川浄化が進み、昭和53
年(1978)、隅田川にレガッタの灯を消してはならないという多くのファン、OB、地
元の方々の熱意により、17年ぶりに早慶レガッタは隅田川に回帰し、現在に至っている。
「復活早慶レガッタ」では慶應が下馬評を覆し、大差で早稲田を下した。
大会は、毎年4月中旬の日曜日に開催され、桜橋付近がゴールとなる(写真42)。ち
なみに、今年までの過去の対戦成績は、早稲田41勝、慶應34勝、同着1である。
(3)浅草の祭り
<浅草三社祭り>
浅草の観音様の東隣に鎮座するのが、浅草神社(三社権現)である。この拝殿は徳川
写真42 早慶レガッタの様子(桜橋付近)
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