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いて隅田川に2番目に架橋された橋とされてい
る。長さ94間(約200m)、幅4間(8m)で当初「大
橋」と名付けられていたが、西側が武蔵国、東
側が下総国と2つの国にまたがっていたことから
俗に両国橋と呼ばれ、元禄6年(1693)に新大橋
が架橋されると正式名称となった。江戸幕府は
防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認
めてこなかった。両国橋は流出や焼落、破損に
より何度も架け替えがなされ、明治30年(1897)
8月10日の花火大会の最中に、群集の重みに耐え
切れず10mにわたって欄干が崩落し、死傷者が
十数名におよんだことから、明治37年(1904)に、現在の位置より20mほど下流に鉄橋とし
て生まれ変わった(写真20)。現在の両国橋は赤色と薄緑の2色塗りである(写真21)。
③新大橋
最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年
(1693年)12月7日、隅田川3番目の橋で、「大橋」
とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と
名づけられた。橋が完成していく様子を、当時
東岸の深川に芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉が
句に詠んでいる。
「ありがたやいただいて踏むはしの霜」
新大橋は何度も破損、流出、焼落し、その回
数は20回を超えた。その後、明治45年(1912)にピントラス式の鉄橋として現在の位
置に生まれ変わり、昭和52年(1977)に現在の斜張橋に架け替えられた(写真22)。
東京の道路の歴史から東京の道路のあちこちを紹介してきたが、幹線道路は防災面に、旧
道は歴史と伝統を伝える役目において、さらに重要性を増していくと考えられる。
写真19 千住大橋
中央に「大橋」の橋名板がかかっている。隅
田川架橋第1号大橋といえばこの橋しかなか
ったプライドであろうか2番目の両国橋より
70年前のことになる。
写真20 1904年完成の旧両国橋
写真21 現在の両国橋 (赤色+薄緑色)
写真22 現在の新大橋(黄色)