11 2-3 下町の興行 興行とは:客を集め、入場料をとって演劇・音曲・相撲・映画・見世物などを催すこ と(広辞苑より)。 下町の興行といえば、やはり「落語」「歌舞伎」「相撲」などを連想される方が多い のであろう。これらの興行はいずれも江戸時代に発展し、現在に受け継がれる伝統的な 興行である。 (1)落語 6)7) <落語って> 落語は、近世期の日本において成立し、現在 まで伝承されている伝統的な話芸の一種である。 「落し話(おとしばなし)」、略して「はなし」と も言う。都市に人口が集積することによって独 立した芸能として成立した。成立当時はさまざ まな人が演じたが、現在は通常、それを職業と する人が演じる。衣装や道具、音曲に比較的頼 らず、身振りと語りのみで物語を進めてゆく独 特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能でもある。落語は江戸落語と上方落語に 大別される。 <江戸落語の始まり> 17世紀後半、江戸の町では大坂出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋で「座敷仕方 咄」を始めた。同時期に京都では露の五郎兵衛が四条河原で活躍し、後水尾天皇の皇女 の御前で演じることもあった。大坂には米沢彦八が現れて人気を博し、名古屋でも公演 をした。また、『寿限無』の元になる話を作ったのが初代の彦八であると言われている。 18世紀後半になると、上方では雑俳や仮名草子に関わる人々が「咄(はなし)」を集め始 めた。これが白鯉館卯雲という狂歌師によって江戸に伝えられて江戸小咄が生まれた。上方 では1770年代に、江戸では1786年に烏亭焉馬らによって咄の会が始められた。やがて1798年 に岡本万作と初代三笑亭可楽がそれぞれ江戸で2軒 の寄席を開くと、その後寄席の数は急激に増えた。 <東京の寄席> 落語は寄席と呼ばれる常設館で演じられるこ とが多い。現在、定席とよばれ一年中落語が聞 ける代表的な寄席には、鈴本演芸場(上野)、浅 草演芸ホール(浅草)新宿末廣亭(新宿)、池袋 演芸場(池袋)の四席がある。 写真13 落語の口演 7) 写真14 浅草演芸ホール