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伎の元祖といわれている。阿国はその時代の流行歌に合わせて踊りを披露し、男装して
当時のカブキ者のふるまいを取り入れて、当時最先端の演芸を生み出した。
阿国が評判になると多くの模倣者が現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎(女歌舞伎)など
が、風紀を乱すとの理由から寛永6年(1629)以降徐々に禁止され、現代に連なる野
郎歌舞伎となった。そのため、歌舞伎においては男性役も女性役も、すべて男優が演じ
る。それは江戸時代の文化の爛熟のなかで洗練されて完成し、独特の美の世界を形成す
るに至っている。
<歌舞伎:紆余曲折の時代>
明治になっても相変わらず歌舞伎の人
気は高かったが、海外の演劇事情を知った
知識人などから、その内容が文明国にふ
さわしくないとの批判を受けて、演劇改
良運動と呼ばれる歌舞伎様式の改良運動
が起こった。これは明治政府の文明国の
上流、中流階級が観劇するにふさわしい
演劇の成立を目指す目論見ともかさなり、
政治家を巻き込んだ運動となった。この
運動のひとつの成果として、現在につな
がる歌舞伎座の開場がある。
以降も明治・大正・昭和(戦前戦後の
混乱期)と歌舞伎は様々な紆余曲折を経
て、進化を遂げる。昭和38年(1963)の
十一代目市川團十郎襲名から、歌舞伎は人
気を回復し、六代目中村歌右衛門、十七代
目中村勘三郎ら活躍した。昭和40年(1965)
には歌舞伎が重要無形文化財に総合指定
され、国立劇場、大阪の大阪松竹座など
が開場した。さらに、三代目市川猿之助は復活狂言を精力的に上演するとともに演劇形
式としての歌舞伎を模索、スーパー歌舞伎という大胆な演出を強調した歌舞伎を創り出
した。また、近年は十八代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎なども注目されている。
このような公演活動を通じて、現代に生きる伝統芸能としての評価を得るに至っている。
<歌舞伎座>
歌舞伎座は、明治の開場以来、火災や戦災に遭うなど様々な変遷はあったが、今日に
至るまで名実ともに代表的な歌舞伎劇場として知られる。
写真17 明治28年 東京歌舞伎座上演の『暫』
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中央で見栄を切るのは九代目市川團十郎
写真18 初期の歌舞伎座(明治40年)
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