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田上水および玉川上水の2つの上水
が江戸の暮らしを支えました。写真6
は東京都水道歴史館に展示されてい
る地下に埋設されていた木樋(現在使
用されている水道管と同じ役目をし
たもの)で、その他石樋によって上水
井戸に導かれ、人々はそこから水をく
み揚げて飲料水・生活用水として使用
しました。
図4の浮世絵の背景には神田川に
架かる神田上水の掛樋が描かれてお
り、写真7は現在の掛樋跡を撮影し
た。江戸時代の水道は明治34年(1901)まで江戸・
東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水
道として大きな役割を果たしました。
(2)明治~昭和初期までの地下利用の変遷
<近代水道の創設>
明治を迎え江戸から東京へと変わりましたが、水
道は依然として江戸時代の神田上水および多摩川上
水を利用していました。しかし、上水路の汚染や木
樋の腐朽といった問題が生じ、また消防用水の確保
といった観点からも近代水道の創設を求める声が高
まりました。さらに、明治19年(1886)のコレラの
大流行は近代水道創設の動きに拍車を掛けました。
こうして、明治21年(1888)、東京近代水道創設に
向けて具体的な調査設計が開始されました。この水道は、玉川上水路を利用して多摩川
の水を淀橋浄水場へ導いて沈殿・ろ過を行い有圧鉄管で市内に給水するもので、明治
31年(1898)12月1日に神田・日本橋方面に通水したのを始めとして順次区域を拡大し、
明治44年(1911)に全面的に完成しました。
近代水道完成から2年後の大正2年(1913)には、村山貯水池および境浄水場の建設
を中心とする第一水道拡張事業が開始されました。関東大震災の後、都市化の波は東京
市の近郊に及び、昭和7年(1932)、町営・町村組合経営の10水道は市営に統合されま
した。また、民営3水道も順次買収されし、東京水道の原形が整いました。
写真7 JR水道橋駅~お茶の水駅間の
神田川左岸にある「神田上水掛樋跡」
図4 歌川広重が描いた神田川
と神田上水掛樋
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