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元、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更しまし
た。
占領軍GHQの要求で突貫工事を行いましたが、当時の鉄道省の建築家・伊藤滋、松
本延太郎等および工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として
恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられています。
一方、昭和23年(1948)にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工しました。しかし、
翌昭和24年(1949)に失火で焼失してしまい、昭和29年(1954)に駅舎が建て替えられ、
八重洲本屋が完成しました。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下
街が拡がるなど賑やかになっていきましたが、丸の内側はレンガ造りのまま残りまし
た。昭和39年(1964)に東海道新幹線が開業し、昭和47年(1972)には総武地下ホーム、
平成2年(1990)には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、平成3年(1991)には
東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、当駅は時代に合わせて順次拡大してきました。
3-3 東京駅の地盤と基礎構造
東京駅は、地表付近を埋土および沖積層の緩い砂層や軟弱な粘性土層で覆われた東京
の下町低地に位置しています。東京駅の西側の日比谷から大手町、神保町にかけた一帯
と、八重洲口側の東方を明石町から日本橋にかけた一帯は軟弱粘性土層が厚く分布する
軟弱地盤地帯ですが、東京駅付近では軟弱層が薄くなっています。
当時の工事記録では、「本停車場本屋敷地に当る部分はそれ(周辺の地盤)に比して
はるかに良好の地盤を得しは偶然とはいえ、大建築物に対して実に幸運なりというべ
し」が残っています。当時は今日のような地質調査が行われていなかったことが伺えま
す。まさに、偶然の出来事であったといえます。図6に東京駅の地質横断図を示しまし
たが、沖積層の厚さは、約7m程度であることがわかります。
東京駅の駅舎建屋の基礎は、青森産の長さ3~4間(5.4 ~ 7.2m)の松丸太杭(末
口7寸以上)が総数11,050本使われているそうです(図7)。建設後、長い年月の経過と
地下水位の低下などによる松杭の腐食が懸念されたために、昭和50年代初めに、鉄道
建築協会によって松杭の腐食調査が行われました。調査としては、松杭の鉛直載荷試験、
松杭の引き抜き試験、および表面観察、含水率測定、比重試験、一軸圧縮試験などの杭
材試験が行われました。その結果、松杭の表面部分は老朽化しているものの、深部はま
だ健全さを保っており、設計当時に期待した強度は維持しているという結論が得られま
した。