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写真29 ①霞が関坂
写真30 ②潮見坂
写真31 ③三年坂
写真32 ④茱萸坂(ぐみざか)
霞が関二丁目の人事院と外務省の間を西から
東へ下る坂です。中世の頃、この辺りに関所
が置かれていたことから名が起こり、江戸時
代には広壮な大名屋敷が建ち並んで、錦絵に
もよく描かれています。霞が関ゆかりの名も、
現在では中央官庁街の代名詞に使われていま
す。
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霞が関二丁目の外務省と同三丁目の財務省の
間を、日比谷公園の南脇まで下る坂です。霞
が関坂と三年坂との間にあって緩やかな長い
傾斜をもった坂ですが、中世の頃までは日比
谷公園辺りが渚であったといわれていますか
ら、この坂も当時はもっと急坂で、眼下に海
を臨むことができたので、この名がつけられ
たのでしょう。
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霞が関三丁目の財務省と文部科学省との間の坂
です。『新撰東京名所図会』には、「三年坂は潮
見坂の南に隣れり、裏霞が関と三年町の間の坂
なり。坂を上れば栄螺尻とす。昔此坂にて転ぶ
ときは、三年のうちに死すという俗説より此の名
起れり。又、淡路坂ともいい一に此処を陶山が
関といふ。……裏霞が関と三年町の間、道路の
盤曲する所を栄螺尻と呼ぶ。」とあります。
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永田町一丁目、国会議事堂の南側を東に下る
坂です。その先は潮見坂に続きます。『新編江
戸志』では「丹羽家表門見通し、内藤紀伊守
殿本多伊勢守殿中屋敷の間、九鬼長門守殿屋
敷の前に出る小坂なり。両側にぐみの木あり
し故の名なり。」とあります。
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