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3.石神井川の役割
石神井川流域付近には、多くの遺跡があるように古くから人々が暮らし、鎌倉時代(1185
年頃~1333年)以降、農地のかんがい用水として利用され、多くの武士の管理下に置かれ
ていました。江戸時代(1603年~ 1868年)には、石神井川以外の玉川上水、千川上水等
の用水も引かれ、石神井川流域の農業生産は飛躍的に増えました。また下流の滝野川辺り
は「音無渓谷」と呼ばれ、王子飛鳥山付近の、権現の滝・大工の滝・不動の滝・見晴の滝・
弁天の滝などが連なる渓谷美、紅葉の景観は、多くの人々に知られていました。安藤広重
の「江戸名所百景」をはじめとした名所絵には、その当時の様子が描き込まれています。
近代になり石神井川流域は、大正12年(1923)の関東大震災を境に現在の形態への変化
を始め、大震災による被害の少ない石神井川流域に人々が移り住んだことから、石神井川
の流域の状況も徐々に変化してきました。この頃、石神井川の水は、板橋に置かれた陸軍
第二造兵廠板橋火薬工場で、黒色火薬製造の動力源となる水車を回すために用いられまし
た。また王子付近では、日本最初の用紙製造のための用水としても利用されてきました。
戦後(昭和20年・1945年以降)には、石神井川流域一帯は都市化が進み、特に昭和
30 ~ 40年代にかけては、日本経済の高度成長とともに石神井川流域の市街化も急速に
進み、現在の河川や周辺の状況が形作られました。この都市化に伴い、排水路化の憂き
目にあい、水質汚濁が深刻な問題となったり、昭和33年(1958)9月の狩野川台風で、
板橋区内で石神井川が氾濫し、大きな被害が起きたりしました。本章では、これらの災
害や水質問題等について対策をご紹介します。
3-1 石神井川の水害
石神井川はこれまで、何度も水害を発生させてきました。石神井川流域で被災家屋
100棟以上の被害をもたらした水害を表1にまとめました。特に、被災家屋1,000棟以上
をもたらした洪水として、昭和33年(1958)9月の狩野川台風、昭和41年(1966)6月
の台風4号、昭和49年(1974)7月の集中豪雨、昭和51年(1976)9月の台風17号と
昭和57年(1982)9月の台風18号があります。平成10年(1998)以降に発生した主要
水害として、平成17年(2005)9月4日集中豪雨や板橋区観測所で時間最大114mm/hr
の雨量が観測された平成22年(2010)7月5日の集中豪雨等があります。
もっとも大きな被害がおきてしまったのは、「狩野川台風」として知られる昭和33年
(1958)9月の台風22号(国際名:アイダ)のときです。区内の浸水家屋は12,800戸に達し、
浸水地域は5平方キロメートルに及びました。板橋区の面積は約32平方キロメートル
ですので、区内の約6分の1が浸水したことになります。この時、橋も大きな被害を受
け、板橋区内だけでも11もの橋が流失し、6つの橋が壊れてしまいました。当時は木
造の橋が多かったことも理由のようです。