- 6 - (2)石神井川の歴史 1)約6000年前(石神井川の河川争奪) 今から6000年前をピークに現在よりも海面が数メートルほど上昇します。この急激な 海面変化を東京地域では「有楽町海進」と呼びます(図3参照)。現在の石神井川は、武 蔵野台地を東西に流れ、王子から低地へ流れ出て隅田川に合流していますが、かつては王 子付近で南東に曲がり不忍池(しのばずのいけ)方面へと流下していたことが、以前より 指摘されていました。近年、石神井川下流の流路が現在のコースをたどった時期は、有楽 町海進最盛期頃であると分かってきました。海進によって台地の崖ぎわが急速に後退した 結果、石神井川は王子付近で崖端浸食(がいたんしんしょく)を引き起こし、「河川争奪」 を起こして流路を変えました(図4参照)(『北区飛鳥山博物館常設展示案内』より引用)。 東京湾における海面変化 kaizuka et al 1977)をもとに作成 河川争奪以前 (有楽町海進最盛期) 石神井川の河川争奪概念図 中野・増淵・杉原(1996)による 河川争奪以降 (現在) 隅田川 (旧荒川) 王子 図3 東京湾における海面変化 5) 図4 石神井川の河川争奪概念図 5) (『北区飛鳥山博物館常設展示案内』より転載) 2)鎌倉時代~戦国時代(豊島氏の支配) 豊島氏は、もともとは荒川を望む武蔵野台地沿いの縁に本拠をおき、全国各地の守護 に任じられた鎌倉幕府の有力御家人でした。鎌倉時代中期以降、豊島氏は石神井川流域 の豪族との結婚や入り婿婚によってその領地を受け継ぎ、やがて南北朝時代から室町時 代にかけて、豊島郡内に強い支配力を持つ国人領主へと変化しました。 鎌倉時代後期、石神井郷(練馬区)の地頭・宇多重弘(うたしげひろ)には、男性の